「罠」

助は吾作の後について、山へ入った。

今日は、まだ少年の正助が初めて、山での猟を父から教わる日だった。
正助の父、吾作は、かつて村一番の鉄砲の手だれとうたわれた猟師だった。
しかし何年も前、手入れ中の鉄砲の暴発で女房を失くして以来、
吾作はプッツリと鉄砲を絶ってしまい、今では鋼の罠を使って獲物を得るのを生業としていた。

しのつくような小雨のそぼ降る山道を、蓑傘と山刀を身につけた親子の猟師は登っていった。
罠猟師は決して楽な稼業ではない。
どこにどう罠を仕掛けるか。罠の気配を獲物に悟らせないためにはどうするのか。
そうした学習の果てしない積み重ねも必要だし、何より、罠猟では獲物の無事は保証されない。
雨の日も風の日も山を歩いて、罠にかかった獲物を早く収穫してやる。それを怠ると、
腹を空かせた他の獣や虫や小さな目に見えないものたちが、せっかくの獲物を台無しにしてしまう。
猟師の親子は、冷たい雨の降る中を、黙々と歩き続けた。

正助は、前を行く父の背を見つめながら、昨夜の夢のことを考えていた。
不思議な夢だった。眠っている正助の側へ、何か、温かく柔らかいものが寄り添ってくるのだ。
それは、女だった。遠い記憶の中の母のようでもあり、見たこともない女のようでもあった。
女は、正助に言った。わたしを助けて、助けて下さい。わたしを解き放って、そうしたら・・・・。
「お父う・・・ウッ」
不思議な夢のことを父に話そうと正助が口を開いたその時、風にのって、異様なにおいが正助の鼻を打った。
吾作は、正助を振り返って言った。
「正助、見てみい、いたちじゃ」

正助にははじめそれが、裸の女に見えた。
それほどの大きさの白いいたちが、罠に後足をはさまれて地面に横たわっていた。
死んではいなかったが、暴れる力もすでに使い果たしたのか、正助たちが側へ寄っても、
よろよろと顔を向けるだけで、何ら抗うことはしなかった。
「見事な大きさじゃ。尾ッぽまで勘定に入れりゃ、正助の背とどっちが大きいかわからんの」
「お父う・・・臭いよ」
「いたちの最後ッ屁というやつじゃ。罠に足を咬まれて、えらく肝をつぶしたんじゃなあ」

正助は、鼻をつまみながら、長い間いたちを見つめていた。
いたちの方も、正助の顔を見ているふうに見えた。
いたちの透き通るように白い毛は、雨に濡れてなめらかに体にはりつき、確かに女の肌を思わせた。
「お父う」
「何じゃ」
「このいたち、どうするんじゃ」
「そうさな・・生きたまんま都へ運べば、見世物に高う売れるんじゃがの。
そんな支度をしに戻っとると夜になる。
それで明日になりゃこいつは、死んで山犬に食われとるかも知れんし、足を切って逃げるかも知れん。
殺してかついで行くかの」
「じゃどもお父う、そんなにせんでも、こいつはおとなしいでねえか。おらが背負って帰るき・・」
「ばかちゃりが。よく見てみい。罠の鋼がぺかぺか光っとろうが。いたちの牙のあとじゃ。
そこいらの土もどえらく堀り返されとる。おそろしい力じゃ。
それに、こんな図体のいたちにまともに最後ッ屁なんぞ食わされてみい。
そりゃあもう臭うて臭うて、正助みてえなガキは泡ふいてそっくり返って、そのまんまオダブツ様かも知れん」
吾作はそう言って愉快そうに笑った。正助の顔はしかし、真剣だった。
「お父う、おら夢で見たんじゃ。きれいなおなごがおらに抱きついて、助けて、助けてと言うとった。
きっとこのいたちが、助けて、助けてと呼んどったんじゃ」

「ふうむ」
吾作は難しい顔をしてしばらく考え込んだ後、静かな笑みを浮かべ、息子の小さな肩に手を置いて言った。
「正助も、ようやく色気づいたかの」
正助は頬を赤くして、父の手を払った。
「何を言うとるんじゃ、お父う。このいたちをどうするかを、おらは言うとるんじゃ」
吾作は、少しの間何かをためらうような顔をした後、おごそかな口調で正助に言った。
「そうさな。ただのいたちには見えんで、こいつはもしや、山の神かも知れん。めったなことはできんな。
それに、正助も今日からは一人前の山の男じゃき、気の済むようにせい。この獲物、正助にあずけたぞ」
正助は目を輝かせて父に礼を言うと、白いいたちの側に屈み込んで、鋼の罠の歯をはずしにかかった。

いたちの体は夢の女と同じに柔らかで温かく、正助の指が触れる度に、か弱く小刻みに震えた。
正助は慎重に罠をはずし、いたちの傷ついた後足に、猟師の使う怪我の薬をつけてやった。
白いいたちはその間、まるで人の心がわかるかのように、眼を細めてじっと静かに体を横たえていた。
「これでええ」
手当てを終えて正助が立ち上がると、いたちは急に驚いたような素振りで
傷ついた足をかばいながら跳ね起き、おぼつかない足どりのまま走り始めた。
樹々の間を抜け、薄暗い茂みの前で立ち止まり、一度だけ正助と吾作の方を振り返り見た後、
大きな白いいたちは、山の奥へと姿を消した。

夕闇が山の端に迫る頃、吾作と正助はようやく家路についた。
結局その日、あの白いいたちの他は、山じゅうの罠を見回っても獲物の姿はなかった。
が、父は多くを子に教え、子はよく父に学んだ。二人が家の敷居をまたいだ時は、すでに夜もとっぷりと更けていた。
吾作は着ている物を脱いで、囲炉裏に火を起こすと、どぶろくをあおってそのまま仰向けに眠り込んでしまった。
正助は囲炉裏の火で粥をつくった。今日一日のことが、正助少年の胸にどっと去来した。
今日から自分も一人前の男だ。そう思うと、嬉しくてこおどりしたくなった。
正助は、白いいたちの事を考えた。結局、獲物はとれなかった。あのいたちを逃がしてよかったのか・・。
いや、いいのだ。正助は、いたちの柔らかな感触を思い出し、あの夢の女のことを思った。
そういえば夢の女は、あの時、最後に何と言ったのだったか。わたしを助けて、そうしたら・・・・・

不意に妖しい気配を感じ、正助が顔を上げると、そこに白い何かがいた。
吾作の上に覆いかぶさり、囲炉裏の火に照らされてゆらめく、白く大きいもの。
正助は、遠い昔に同じ光景を見ていたような気がした。
白いものには腕があり、脚があった。白いものは脚の間に、吾作の体を組み敷いていた。
白いものには黒い瞳があり、紅い唇があった。白いものは正助に向かって、微笑んだように見えた。
白いものは豊かに膨らんだふたつの乳房と、艶めかしい大きな尻を持っていた。
それは、透き通るような肌をした、若く美しい女だった。
女は吾作の顔に尻を近づけ、小さな円を描くように尻をふった。
するとやにわに吾作が目をむいて、うめき声を上げ始めた。
「ううう、く、く、く、くさ、くさ・・・・」
吾作の髭や髪は、風にあおられたようにゆれうごいていた。
丸い大きな尻が円を描き続けると、吾作はついに泡をふき、白目をむいて静かになった。

女は動かなくなった吾作の体から降りると、正助の側へ、しずしずとやって来た。
血に濡れたような紅い唇で、女はささやいた。
「わたしはあの山で、千年を経た大いたち。助けて頂いた御恩を返しにまいりました」
「この性悪のいたちめ、お父うを殺したな」
「いいえ、決して決してそのような、めったなことは致しません。ただ、お気をお遣りになられただけです・・
このいたちめの屁の臭いに、目を回しておられるのでございます」
「そんな馬鹿な・・・え、えい、ええい、近寄るな、近寄るなと言うとるのに」
「仕方のないおひと・・」
女はくるりときびすを返し、尻を突き出すと、吾作の時と同じように小さく尻をふった。
スー、というかすかな音が鳴り、正助は、囲炉裏の明かりにゆらめくモヤのようなものが、自分めがけて、女の尻から幾筋も放たれたのを見た。
モヤは次々と正助の顔に粘っこくからみつき、たちまち辺り一面を円形に覆い尽くしていった。
「く、臭あああ」
香ばしく甘ったるくそれでいて鼻を突くように臭い、強烈な屁の臭いをたっぷりと吸い込み、
正助は宙をかきむしってばったりと倒れた。
女は、正助の着ている物をひとつひとつ丁寧に、脱がせ始めた。

「た・・助けたのに」
悔しそうに正助がつぶやくと、女は困ったような顔をしていた。そうした顔も美しかった。
「どうかお許し下さい。夜は思いのほか短いですゆえ・・・」
女の紅い唇が開き、しっとりと濡れそぼった桃色の舌が、正助の鼻を愛撫した。
くすぐったさと共に、鼻に残っていた屁の臭みがたちまち薄らいでいくのを、正助は感じた。
女は正助のはだけた背に、人指し指を軽く這わせた。
むずがゆいような、そうでないような、奇妙な快感だった。
女の白い指は、正助のうなじ、胸、脇腹を巡って、下へとくだっていった。
正助は、自分の体が自分のものでなくなっていくような感覚を味わっていた。
女は正助を仰向けに寝かせると、脇に座したまま正助の上に身を屈め、彼の胸をゆっくりとなめ上げた。

あくまでも白く豊かな二つの乳房が目の前いっぱいにゆれるのを見て、正助の手が何かに突き動かされるようにのび、乳房を掴んだ。
正助の指は、力を込めるそばから、次々と乳房の肉の中にのみ込まれていった。
まるで、つきたての餅に指を入れるようだった。
想像だにしなかったあまりにも柔らかな感触に衝撃を受け、正助の脈はさらに速まり、呼吸は乱れて荒くなった。
女はそれを見てくすくすと笑うと、今度は正助の頭の上方へ座し、先程のように身を屈めて、正助の首をやさしく抱き締めた。
上気して真っ赤に染まった正助の顔は、たちまち二つの乳房の中に埋もれた。
正助はまるで、罠にはさまれた獣だった。
女はその姿勢のまま手をいっぱいにのばすと、正助自身が長い年月、ただ、小便の蛇口と思っていたものに、そっと触れた。
顔は乳房に埋もれたまま、正助の手は、あてどもなく宙をさまよった。
女の指はさらに二度三度と、正助のそれを、くすぐるようにもてあそんだ。
いままで感じたこともない途方もなく強い本能的な衝動が、女の指のあたりで生まれ、ゆっくりと自分の中を這い登ってくるのを感じて、正助は思わず背をのけぞらせた。
すると女は、正助の首を放して自由にしてやり、そのかわりに自分の体を正助の足の方へのり出して、ちょうど、正助の上で四つん這いの格好になった。
女の股が、正助の顔のすぐ上にあった。
その茂みの奥の蜜壷から漂う、芳しい濃密な女の香りは、彼の衝動の高まりをさらに加速させていった。

衝動は今や、すぐにでもはじけそうな程に高まっていた。
正助の腰は、あとほんのわずかの刺激を求めて、無意識に動き出した。
正助は本能の命ずるままに、自分の右手をそこへのばそうとした。あとほんのちょっと、ほんのちょっと・・・・
しかしその右手を、女の右手が制した。
左腕にも、女の左手の指がからみついた。
女のふくらはぎが正助の首をはさみ込むと、白い小山のような女の尻は下を向き、正助に桃色のつぼみを見せつけた。
桃色のつぼみはやがて、正助の顔の上で、小さな円を描き始めた。
「そんな、い、いやじゃ・・」
正助がそう言うか言わぬかのうちに、ぷわあ、ぷうという音を鳴らして、熱い気体がゆっくりと、まんべんなく、正助の鼻の回りに吹きつけられた。
「へがぁ」
そのあまりの臭さに、正助はわけのわからない悲鳴を上げ、女の手を払い退けてやっとのことで鼻をつまんだが、もがいてもあがいても、鼻の奥まで吹きかけられた猛烈な屁の臭みは、すぐには消えようがなかった。

「ほほほ・・・こうするとほら、まだ大丈夫。まだまだ、夜は明けません・・」
女の指が再び正助の股ぐらをもてあそび始めた。
少し前までははちきれんばかりに張りつめていたあの衝動は今や、ひどく小さく弱々しく感じられるのみで、ただ女の指がもたらす快感だけが、前にも増して激しく正助の背骨を駆け登っていった。
女は濡れた舌で、正助の股の、くるみのような二つのふくらみを、交互にねぶった。
「チュ、チュ、ルリルリ、ルロルロ・・」
「ふわ、ふああ、ふわああ」
正助は未知の快感の波に呑まれ、意味を成さない声をのどから洩らした。
あの強い衝動がまた、彼の中で急速に高まっていった。
正助は半狂乱になって、衝動の命ずるままに、脈打つ股ぐらを無理やり女の顔にこすりつけた。
ぶう。
正助の胸の上にあった女の尻から、正助の髪をゆらす程のひときわ大きな屁が勢いよく放たれた。
熱い屁に包まれてのたうち回る正助の両脚を押さえつけ、女はさらに激しく舌を使った。
終わりの見えない快感の嵐とますます強くなる屁の臭いに、正助は涙を流して身悶えた。
目はかすみ、体も痺れて、もう鼻をつまむことさえできない正助の上に、女は再び屁を浴びせかけた。
ぶぶ、ぶうう、ぷすすう、ぷすう、ぷすう・・・・
たっぷりと広がった臭い屁の海に溺れ、気を失う一歩手前の正助の意識は、女の舌がつくり出す快感によって、なおも覚醒を強いられていた。
おすこともひくこともできない宙ぶらりんのまま、正助は快感を与えられ続けた。

そのうちに、ふと正助は屁の臭いが薄まったことに気づき、ようやく、女の顔が目の前にあったのに気づいた。
女の舌が、正助の鼻を丹念になめていた。
「ああ・・もう、夜が明けます。
このいたちめの悦楽の罠はお気に召されましたか。
罠の御恩は、罠でお返ししてさしあげるのが道理ですゆえ・・
では、あの時わたしを逃がして下さったように、わたしの罠から解き放ってさしあげましょう」
女は正助の股へ、豊かな胸を寄せた。
二つの乳房が、そこにそそり立つ三本目の足をはさみ、くるみ込んだ。
揉みしだかれてゆれ動く乳房の間で、正助のそれはまるで、逃れようと必死にあがいているかのように見えた。
女の尻が再び正助の顔に狙いを定め、ばす、と一発を放った。
しかし正助の鼻に届いたのは、あの猛烈な屁の臭いではなく、甘く情欲をかきたてる女の性の香りだった。
正助は股の間に、激烈な衝撃を感じた。
一夜かけて耐えがたいほどにふくれ上がった正助の男の性が、せきを切って溢れ出そうとしていた。
やがてその瞬間が訪れ、正助は獣のように叫び、手足をおもいきり突っ張らせた。
目もくらむような快楽の大波が一息に押し寄せ、そして・・・・

ガタン、ガラガラガラ。
鉄の転がる音に驚いて、正助はとび起きた。
早朝の青白い光が差す家の中を、正助は見回した。
吾作が、いびきをかいて眠っていた。
囲炉裏の火が消えていた。鉄鍋が、掛け金からはずれて落ちてしまっていた。
女の姿はなかった。
正助の鼻はまだ、家の中に漂う異様な臭いを嗅ぎとっていたが、それは屁の臭いではなく、何かが焦げた臭いだとすぐに知れた。
「夢」
正助は、ぼんやりとつぶやいた。
ふと自分の爪先が真っ黒に汚れているのに気づいて、鉄鍋の底を蹴ったのだと悟った。
正助は鉄鍋を覗き込んだ。鍋の底には、黒く焦げ付いた粥のなれの果てが一面にこびりついており、正助は自分が昨夜、粥を火にかけながらいつのまにか寝込んでしまったことを悟った。
正助は自分の胸に白い粥が飛び散っているのに気がついた。
いや、よく見ればそれは粥ではなかった。
正助は手拭いでそのどろりとしたものをぬぐい取った。
胸とみぞおちとへその下をぬぐい、最後に股の間をぬぐった時、正助の背骨を痛みにも似た快感がつらぬき、夢の最後がありありと思い出された。
正助は、冷たい水で鉄鍋を洗い、手拭いを洗いながら、思った。自分は一人前の男になった。
そして同時に、自分の身がついに、性という、逃れがたい人生の罠に捕らえられたことを、少年は悟った。

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