沙紀ちゃんのクリスマス(前編)

思議なもので、空気が変わってきた。それが、12月の徴だ。もう一年が終わってしまうという感傷には、とりあえず無縁の自分の若さが、少しばかりありがたかった。
着古したレザーのフライトジャケットを、同じように体になじんだ愛車ゴルフGTIのナビゲーターシートに放り込むと、僕は、イグニッションをまわして、Made in Germanyの1.6リッターのDOHCに命を吹き込んだ。同時に、つけっぱなしのカーステから、聞き慣れたPeggy LeeのI like a sleigh rideのメロディが聞こえてくると、なぜか沙紀の子供っぽい笑顔が浮かんできて、声を聞きたくなった僕は、R246を素通りして、沙紀の家を目指した。

今日は、そっとプレゼントの下見でもしていくか・・・・

沙紀とは、夏にふたりで海にいったきり、夜明けのモーニングコーヒーをなんていうチャンスには、全くご無沙汰だった。
いままでどおり、毎週家庭教師をつづけていることもあるが、月1度の日曜日の健全な昼間のデートだけでお互いに満足していた。
気が付けば、ずっといっしょにいるかわいい妹のような感情を僕は、沙紀にいだくようになっていた。
でも、おとといの家庭教師の帰り際に沙紀がつぶやいた。

「クリスマスに学校で、ミサがあるんですけど、それを欠席するのがステイタスなんです。うちの高校」
何かおねだりするときに、上目がちにチラッと見つめるのが沙紀のいつものくせだった。
「なんで?ミッション系だろ。25日は、大切な日じゃないの」
「もう、せんせい、わかってないですぅ。神様よりも、カレに選ばれたほうが、幸せにきまってまーす」
沙紀が、ムキになって反論するので、僕は、思わず笑ってしまった。
「あっ、ひどーい!いいですよ。沙紀は、神様とすごしますから、クリスマス」
僕は、沙紀の顔を真正面から見つめて言った。
「森戸から、由比ガ浜に抜ける途中に古いリゾートホテルがあって、湘南では、正統派フレンチの老舗なんだ。子供の頃、両親と良くいったレストランで、魚貝はもちろんだけど、メインのターキーがとてもおいしんだ。今年、二人でイブに行こう」
沙紀のつぶらなどんぐり目が、さらに大きくなった。
「えっ、うそー、うれしい!せんせい、うれしいです!やったーっ」
沙紀は、ほんとに飛び跳ねて、僕に抱きついて来た。小学生のようなきゃしゃな肩はかわらないが、沙紀の胸がまた少し大きくなったのを感じた僕は、息苦しくなってそっと沙紀をはなした。
「じゃあ、風引くなよ」
「ぜったいひきません。なにがあっても沙紀はいきますから、わぁー、なに着ていこう。せんせー、いっしょに選んでくれますか?」
「じゃあ、土曜日に青山に行く用事があるから、いっしょに乗っていくかい」
「沙紀、しあわせすぎーっ、わー、わー」
帰ろうとする僕の肩につかまって、沙紀は、まだ飛び跳ねていた。
その晩、僕は、無邪気な沙紀の喜びようと、飛び跳ねるたびに短すぎるスカートからチラチラ覗く白いモノを、しっかりと思い出してしまって、なかなか寝付けなかった。

いつもの角を曲がって、沙紀の家が見えると、既に沙紀が家の前に出て待っていた。
赤いトラッドなダッフルコートを着た姿は、遠くから見ると、赤頭巾ちゃんのようだった。

さしづめ、僕は、おおかみさんか・・・・自分のイメージが妙にあたっているようで、ひとりで苦笑いしてしまった。
ナビゲーターシートに沙紀をエスコートすると、僕は言ってしまった。
「それで、充分かわいいと思うけど・・・」
「あっ、せんせい、またわかってないですぅ。せんせいのかわいいは、おまえは、こどもだっていってるって、沙紀は、知っているんです。ちゃんとしたレストランにつれてってくださるん
 ですから、ここは、大人っぽくキメないと・・・・」
その割には、沙紀は、ピンクのざっくりしたセーターとジーンズのミニスカートといういかにも
その年頃の女の子のファッションだった。
冬でも、コンバースのハイカットに生アシというのが、さすがに若さだったが・・・

R246に入ると、カーステから、これから耳タコになる山達の「ひとりぼっちのクリスマスイブ」が流れてきた。青山通りに入って、ベルコモンズの壁には、また恒例のクリスマスツリーが、しっかり飾り付けられていた。僕は、紀伊国屋の駐車場に、GTIを入れると、フライトジャケットをつかんで沙紀を降ろした。
「せんせいって、ほんとサーファーですね。冬にダンガリーのシャツ一枚で寒くないんですか?」
「寒いから、ブルゾンをもっているんだ」
「でも、沙紀は、冷え性だからうらやましいです」
「そういう沙紀ちゃんだって、ストッキングすらはかないじゃん」
「沙紀は、下半身に脂肪が多いから寒くない・・・ぶう、なにいわすんですかぁ、あっ、せんせい笑ってる、しっかり認めましたね」
僕は、沙紀にダッフルコート着せながら、
「ディナーは、恵比寿でラーメンだな。倹約しないと」
「あっ、話題そらしたぁ」
僕たちは、そのくせ、ぴったり寄り添いながら、めっきり人の増えた青山通りを歩いていった。
「ホンとは、かわいい白いショートコートがほしいんだけどな。でも、お小遣いもうないし・・・男の人はいいですね。せんせいなんて、背高いし、プロポーションいいから、いつもジーンズでさまになっちゃうし、沙紀みたいなチンチクリンは苦労します」
「でも、女の子は、何も着ないのが一番よろこばれるじゃん」
「あーっ、せんせー、そのジョーク、しっかりおじさんしてますよー」
「沙紀ちゃんからみれば、僕もおじさんの部類だけどね」
「せんせいは、おにいさんって感じです」
「じゃあ、沙紀ちゃんは、妹だな」
「なんかうれしいようなかなしいような・・・」
「それだけ、ずっと大切にしたいんだ」
僕は、沙紀が、ついてこないんで、驚いて後ろを振り返った。
沙紀は、立ち止まって泣いていた。
「おいおい・・・・」
僕は、あわてて沙紀を抱き寄せた
「せんせい、ごめんなさい、沙紀、うれしくって・・・、ほんと幸せです!」
「じゃあ、買い物の前に、ケーキで休憩!」
「ほんとですかぁ!」
もう沙紀は、しっかりとにこにこ顔に戻っていた。
僕たちは、住宅街の小さな公園の前にあるいつものカフェに入った。カフェの中にも、ツリーが出現して、もうしっかりクリスマスしていた。
いつも通りの、僕は、焙煎の濃いマンデリンコーヒー、沙紀は、セイロンのミルクティーとここの自家製のチーズケーキをオーダーすると、沙紀は、さっそく店の中のJJを持ってきた。
「あーあ、早く大学生になりたいな。沙紀、ほんとは、せんせいと同じKO女子にいきたかった んです。でも、ばかだから・・・・」
「でも、TEならブランドじゃん。それだけで、お友達になりたがっている男は沢山いる」
「K大生にいわれてもうれしくないです。大学で受けますから」
「でも、僕は、理工だから、三田にはいないよ」
「せんせいの後輩になるんです、ぜったい」
なんかむずがゆくなってきたところで、マスターに声をかけられた。
「なっちゃん、そういえば、伝言あるよ。A学の・・・・」
「わぁー、どうせ、パー券買ってくれとかその手のやつでしょ」
「イブにライブでパーティだって」
沙紀が一瞬とても悲しそうな顔をした
「キャンセル、ぜったいキャンセル。言っといて」
「そう、このあいだも泣いてたんだよ。なっちゃん冷たいって・・・」
「マ、マスター、リクエスト、Bill Evanceのソロピアノで、Santa Claus is coming to town」
「まあ、いいけどね・・・・妹思いだかね、なっちゃんは・・・・」
マスターは、あきれたように両手を広げると、行ってしまった。
どういうわけか、仲間内では、沙紀は妹だと完全に誤解されていた。僕も、めんどくさいので訂正しないのが悪いのだが・・・・
「ここのスピーカーは、イギリスのタンノイだから、ジャズの音にはならないけど、Evanceのソロは好きなんだ」
沙紀は、不信感120%の目で、
「せんせい、週末は、いつも海だっていうから・・・、どなたとご一緒なんですかぁ」
「GTIと、風と波、それだけだよ。ときどきストーンズとモーツァルトが仲間になるけど」
「ふーぅぅぅぅんんんん、とりあえずそういうことにしておきます。でも、スカンクちゃんも パワーアップしるんだからぁ」
「なハハハハハハハハ・・・・・・」
僕は、ひげ面のマスターを恨みがましくにらみながら、勘定を払って店を出た。
もう、12月の町は、おそい午後の気配をみせていた。僕は、ブルックスブラザースの店で、ボタンダウンを一枚買った。今度のイブ用にするつもりだった。その間、沙紀は、米国本店の女性用のスーツのカタログを見ながら、
「こういうのが似合うようになりたいなぁ、でも、チンチクリンだから・・・・」
とため息ばかりついていた。
「アメリカントラッドは、長く着れるけど、繊細さがないから、沙紀ちゃんにはあわないよ フランスのブランドがいいんじゃない」
「これでも、背が少し伸びたんですよ。せんせいとは、違いすぎるから気づかないでしょうけど」
「いくつ?」
「もうちょとで160センチ、2センチ伸びたんです」
「そのくらいがかわいいんじゃない」
「あっ、またこどもだと思ってる。でも、体重はそれ以上にそだっちゃってんですよね、グスン」
「そうかなぁ」
僕は、改めて沙紀を見た。沙紀は、ちょっと背伸びをしてモデルのように笑ってクルリと回って見せた。全体的に小作りなお人形さんてきな感じは変わってないが、確かに胸と腰はひとまわり肉付きがよくなったような。でも、夏以来見てないからな・・・
「あっ、ちょとおとこの目をした。こどもじゃないってわかりました」
「えっ?」
「女の子はちゃんとわかるんですよ。おんなとして見てくれてるか。せんせいは、すぐ、あたまなぜなぜで、あー、いいこだ、いいこだって調子だから・・・、せんせいみたいに、しっかりした男の人に、そういうふうにされると、すごく安心しちゃうところがあるんですけど、時々すごく不安になるんです。もし、せんせいがいなくなっちゃったら、沙紀ひとりで生きていけ なくなるんじゃないかって・・・」
沙紀は、しんみりして立ち止まった。
「少なくとも、ラーメン食い終わるまでは、今日はいなくなるつもりはないから、まず、ベルコモの中でも覗いてみよう」
「そうですね、ごめんなさい」
沙紀は、僕の腕にぎゅとしがみつくようにして肩に頭を寄せた。
どこもかしこもクリスマスに便乗しているが、そんな町は嫌いではなかった。
僕たちは、クリスマスソングのBGMに包まれながら、ブテックを見て回った。
沙紀は、白いアンゴラのセーターを手にとると、
「かわいい!ウサギちゃん見たいですよね」
「いいんじゃない。似合うよ」
「うーん、高い・・・・」
「あんまし、手持ちがないけど、1万円しないからプレゼントしようか」
「うれしいけど、エスコートされる側としては、それでは、おんながたちません。これから、イブまでは、どこも行かず、何も買わずで頑張ります。よし、決めた、買おう」
沙紀は、買った包みをうれしそうに、ぎゅと胸の前で抱きしめながら
「ああ、早くイブにならないかな」
「うん、決めた」
「えっ?」
「沙紀ちゃんへのプレゼント」
「ええっ?」
「そのアンゴラのセーターに似合うやつを思い出した」
「そんな、イブにつれていってくださるだけで、ほんと沙紀、充分です。でも、そういいながらちょっぴり期待しちゃたりして、せんせい、趣味いいから」
「おだてても、予算は決まってるから」
「エヘッ!」
沙紀は、かわいい舌をだして見せた。
「さて、買うもの買ったから、後は、紀伊国屋で、コーヒーとワイン買って、恵比寿ラーメン食って帰るか」
「せんせい、あしたもサーフィン行くんですか?」
「いや、さすがに試験も近いし、レポートもあるし、家にいるよ」
「沙紀も、せんせいにプレゼント決めてるんですよ」
「スカンクちゃんだけは、かんべんだけど」
「それは、沙紀を泣かせたり、意地悪したときのオシオキでーす」
僕たちは、肩を寄せて笑いながら、夕暮れの町に出た。

沙紀を送って、家へ帰ると、なぜか、いつもの誰も居ない部屋が妙に寒く感じた。
反射的にマッキントッシュのアンプに火をいれると、今日から、クリスマスソングをかけたくなり、Dave BrubeckのChristmasのディスクを捜した。
コーヒーが沸き、JBLのスピーカーから、彼のブルージーなソロピアノが流れ出すと、からっぽになった気持ちが満たされるようで、少し暖かくなった。僕は、渋地下のありいずみで買いこんできたシガリロに火をつけると、その甘い香りをゆっくりと吸い込んだ。

ふと気が付くと留守電のメッセージランプが点灯している

再生すると、沙紀の舌足らずな声が飛び出してきた。

せんせい、きょうは、ありがとうございました。なんか、しあわせすぎるようで、こわくなってへんなこといいましたけど、きにしないでください。
イブがとってもたのしみです。
でも、せんせいにデブだとおもわれたくないから、これから、ダイエットします。
もう、ケーキは、さそわないでください。おやすみなさい。ナツトさん・・・
きゃ、いっちゃった・・・・・

僕は、グリーンのメッセージランプをしばらく見つめていた。もう部屋は、寒くはなかった。
しかたがない、あれで金をつくるかぁ・・・・

僕は、決心すると、シガリロを消して、ダンガリーのシャツだけ脱ぎ捨てると、腕立て伏せを始めた。

「こんねぇしぃわすのさむぞらのしぃぃた、どかたやろうたぁ、にいぃちゃんもよっぽど、こまってんだぁ」
僕は、スコップの手を休めると、首のタオルで汗をふいた
「金がいるんです。年末は、どこでも、掘り返してるから手っ取り早い」
1週間で、まとまった金を作る決心をした僕は、平日の3日の日雇い仕事と、夜と週末は海外特許の翻訳の下請け、これは、教授の紹介ということもあって、時間の割には、たいした金にはならなかったが、に没頭した。割から言えば、知り合いのパブでバンド演奏兼、雑用がかりが一番時給がよかったが、とにかく、仲間内の濃い人間関係を避けたかった。
ここしばらく姿をくらまさないと、全力でイブを邪魔しようとするひまなやからがすくなくても4人はあげることができたからだ。
僕が、おんなと逃げた。ひどい話になると、人妻と駆け落ちしたと、まことしやかに言いふらすやからまであらわれて、ますます僕は、大学の周囲10Kmには足を踏み入れないことにした。
沙紀から、なんども電話と留守電があったが、僕は、無視していた。
次の週に、家庭教師に行くと、案の定、沙紀は、カンペキ不信感200%の目で、

「せんせい、ずいぶん、腕が焼けてますね・・・オカジュウのジローで、長さんにあって、せんせいは、おんなの人と、しばらく戻らないって、教えてくれたんですよ。なんでも、
 クラブのみんなに、新しい人生をやり直すって宣言して、海のそばの遠い町に、人妻と駆け落ちしたって・・・だから、もう、沙紀のことなんか忘れちゃったのかとおもって
 ました」
「あんばか・・・、あのねぇ」
「じゃあ、この間の土曜日と、日曜日どちらにいってらしたんですか?実は、せんせいのうちに いったんです。ちょっと聞きたいことがあって」
「成城図書館にこもって、翻訳やってたんだ。教授の下請けの」
「うそです。図書館で、そんなに焼けるんですか?」
「なはハハハハ・・・・」
「どうせ、A学のだれかさんつれて、海いってたんだ・・・・」
「違うってぇ」
「じゃあ、キスしてください」
「えっ?でも・・・」
「やっぱりぃー」
沙紀は、立ち上がると、腕を後ろに組んで、自分から目を閉じて、ちょこんとあごをつきだした。小作りな顔にびっくりするくらい長いまつげが震えていて、さくらんぼを思わせる
唇に、かなりその気になってしまった僕は、あたりを見回して沙紀のママが来る気配がないことを確かめた。僕が、まわりを見回しているときに、沙紀の後ろの右手が、いつの間にかスカートの中に入れられていることに気が付く余裕はなかった。
僕が、すこし屈んで、生唾を飲み込みながら、口を近づけようとしたその時、沙紀の右手が、僕の鼻と口にそっとかざされた。なにやら、熱いものが、モアァァァァっと、鼻のあたりに広がるのがわかった。
息を止めるには、遅すぎた。
「うぐっ!?」
沙紀のスカンク級のにぎりっぺが炸裂した。卵を充分に発酵させたような、強烈な悪臭のメガトンパンチに、僕は、むせ返り、息ができなくなった。
沙紀が、甲高い笑い声を上げた。
「ちょっとでちゃったみたい。音がしなかったから、ちょとやばかったかしら」
「ぐぜーっ、げほげほ・・・」
「おしおきでーす」
「これはひどすぎる、しぬーっ」
僕は、吐き気とめまいに襲われて、しばらく立てなかった。
沙紀は、とても、悲しそうな顔をして
「スカンクちゃん、きのう泣いちゃったんだから・・・」
「お夕飯いかが?」
沙紀のママが、ダイニングから声をかえた
そこで、僕たちは、休戦せざるを得なかった。
強烈なおしおきのせいで、食欲どころでなかったのと、沙紀が、ちっとも話をしようとしないので、ひどくよそよそしい夕食をすませたあと、僕は、沙紀の家を後にした。
いつもなら、車の中まで来て、名残惜しそうに話していく沙紀なのだが、今日は、玄関まで来ると、
「せんせい」
「何?」
「べーぇぇぇだ!」
沙紀は、舌をだすと、さっさと引っ込んでしまった。
「やれやれ・・・・」
GTIのエンジンをスタートさせると、スイッチをいれたままのカーラジオから、また「山達」がながれてきた
「またこれか」
僕は、うんざりして、カーラジオのスイッチを切ると、誰もいない部屋へ向けて、車を走らせた。

今日で、道路工事現場とも当分お別れだ
僕は、甲高いエアードリルの音から、すこし遠ざかると、汗を拭いた。
12月とは言え、午後の早い時間の冬の太陽は、充分あたたかかった。
楽屋裏は、見せられないからな・・・
「セイガクのにいちゃん、よくもったなぁ。タフやなぁ。ええからだしとるし、
 正月国へけぇるんけぇ」
「ええまあ」
なじみになった現場監督が、冷えたコーラーをほおってよこした。
僕は、片手で、キャッチすると、スコップを地面にさしたまま、一息ついた。
通りを見ると、見慣れた制服、TEの女子高生達が歩いて来た
「しまった、期末試験だった・・・」
まさか、沙紀に会うことはあるまいと思ったやさきに
「せんせい?」
「あちゃー」
僕は、あわてて、首のタオルで顔をかくそうとしたが、完全に手遅れだった。
沙紀と、4人くらいの女子高生達が、絶滅した日本おおかみでも発見したかのような顔で、こちらを見つめていた。
「なハハハハハハハ・・・・・」
沙紀は、丸い目をさらに大きく見開いて、完全に固まっていた。
沙紀の横の女の子が、
「ねぇ、沙紀の彼氏って、K大生じゃなかったのぉー?」
とひそひそつぶやいているのが聞こえてきた。
「おーっ、やすみはおわりじゃ、もうひとしごとやるべぇ」
監督の声に救われるように、僕は、沙紀たちに背を向けてまた土を掘り起こすことに没頭した。
「せんせーい、帰りに必ず、よってくださーい。コーヒー入れて待ってますから」
僕は、気恥ずかしさから、沙紀の方も見ずに片手をあげると、作業に没頭した。
沙紀の声は、すぐにエアードリルの音で消されてしまった。

その夜、部屋で、新しく出たアルバムHarry AllenのChristmas in Swing Timeをかけながら、海外特許の翻訳をやっていると、チャイムがなった。
開けると、赤いダッフルコート姿の沙紀だった。
沙紀は、うつむいていて、べそをかいていた。
「せんせい、ほんとうにごめんなさい・・・沙紀もう自分がいやで、死んじゃいたいくらい
 なんですけど、どうしても、せんせいにあやまりたくて・・・」
「まあ、はいれよ」
さすがに、誰が見ても明らかにティーンエージャーの少女に、夜の9時過ぎにマンションのドアの前で泣かれては、いくら僕でも世間体ってものがある。
沙紀は、ディスクに広げられた英文の資料の山を見つめて
「ぜんぶほんとうだったんですね・・・、ごめんなさい」
沙紀は、僕の胸にとびこむと、大声で泣き出した。
僕は、そのまま、沙紀をこわれもののように抱きしめると、泣かれるままにしておいた。
いいかげん、沙紀に泣かせると、僕は、人差し指で沙紀の頬の涙をぬぐいながら
「楽屋裏をあかしてしまうとつまらないしね・・・しかし、僕が姿を見せないと、なんで人妻と駆け落ちしたことになるのかね」
「せんせい、かっこいいから・・・・」
「かっこいいひとは、土方なんかやらないよ」
「でも、アヤもいってましたよ。とっても素敵だって、あの後・・・」
「土方が趣味なのかい?」
「もう、ひとが誉めているのにィ」
沙紀は、すこしふくれてみせた。
僕は、また、沙紀を胸に抱きしめると、肩すれすれの柔らかい髪を撫でた。
絶妙のタイミングで、HarryのテナーがWhite Christmasのメロディを吹いてくれた。
「僕も、イブは、とても大切にしたいんだ。だから一番大切な人とすごしたい」
沙紀がまたしゃくりあげだした。
「さあ、コーヒーでもいれよう。ちょうど休憩しようと思っていたところなんだ」
沙紀をそっと胸から放すと、僕は、カウンターになっているキッチンへ行った。
紀伊国屋で買ってきた焙煎の濃いマンデリンの豆をミルにかけると、それだけで、強い香りがあたりに立ち込めた。
僕の部屋には、ソファーなどないから、沙紀は、僕のチェアに腰掛けてまだ泣き止まなかった。あまり女の子に泣かれるのは、どんな理由にしろ、あまり気持ちの良いものではない。
「あっ、紀伊国屋のチーズケーキがひとつ残ってた!」
「えっ、ほんとうですかぁ」
とたんに沙紀が泣き止んだ。沙紀の大好物だった。
「ダイエットするんじゃなかったのかい」
「クリスマスが終わってからにしまーす!」
「よし、もう泣かないって約束してくれたら、残念だけど、進呈しよう」
「ぜったい泣きません」
「それから、いきなりにぎりっぺもしないって」
「やだーっ、いわないでください」
沙紀は、耳まで真っ赤になった。
「でも、くさかったかしらぁ」
「ほんとに気絶するとこだった。マジで」
「エヘヘヘヘヘヘ・・・・」
「今日、いっぱつお見舞いされると、かわいいスカンクちゃんへのプレゼント代が稼げなくなる。明日持っていかなきゃならないんだ。この原稿。実は、この間のアンゴラのセーターに良 く似合うジュエリーを見つけたんだ」
沙紀が、また泣き出しそうな顔をした。
僕は、あわてて
「でも、あんまり期待しないように。予算少ないから」
「せんせいと一緒にいられるだけで充分です」
「じゃあ、ケーキいらないかい?」
「もう、すぐふざけるんだから・・・」
Harryのテナーは、もうアップテンポのRudolf Red-Nosed Reindeerのメロディで、ご機嫌にスイングしていた。
「とにかく、イブに出かけるのをじゃまするやからが多いんだ。代表的なのが、バンド仲間の長谷川だから、なに聞いても信じちゃだめだよ」
「わかってます。もうせんせいのいうことしか、沙紀は、信じませーん」
「でも、せんせいがこんなにしてくれてるのに、沙紀が出来ることって・・・一応、、ママに 聞きながら、一生懸命マフラー編んでんですけど、初めてなんで・・・、
 あっ、いっちゃったぁ」
僕は、思わず微笑んだ
「ひとつ、沙紀ちゃんにお願いがあるんだ」
「えっ、はいっ、沙紀なんでもしますから」
「当日、お弁当を作ってもらいたい。午前中に出発して、暖かいうちに海が見たいんだ。
 2食とも外食よりも、海を見ながら、手作りランチが食べたい。メニューは、任せるから」
沙紀の目がみるみる大きくなった。
「沙紀、がんばります。ごちそうつくります」
「すこし期待してる」
「えっ、すこしですかぁ」
「おおいに期待したい」
沙紀が、食べてしまいたいくらいの笑顔で微笑んだ。でも、今晩は、沙紀とじゃれている余裕はなかった。
「ところで、家には、なんと言って出てきたんだい。もう10時過ぎてる。すぐ送ってあげたいけ ど、これを仕上げなくてはならないんだ」
「せんせいの家にいくって、ちゃんと言ってきました」
沙紀にまっすぐな目で言われると、今晩は、やさしいおにいちゃんを廃業できなくなった。
僕は、首を振りながら、黙って受話器を取りあげた。
沙紀のママが出た。まったく安心しきった声だった。
「すぐに送ってあげたいんですけど、どうしても、教授の下請けの翻訳を仕上げなくてはならな いんです。目処がついたら送っていきますけど、もう少し、かかりそうです」
沙紀のママのレスポンスを聞いて、僕は、ため息をつくと沙紀に受話器を回した。
「先に寝てるって・・・」
「わーい、わーい」
「そんな、高校生の女の子が外泊なんてとんでもない!あと、10ページ仕上げて終わりが見えたら、送っていく。この時間なら、30分で沙紀ちゃんの家までいける」
受話器の向こうで沙紀のママが笑っているのが聞こえた。とんだ、やさしいおおかみさんだ。
「沙紀、じゃましないようにしまーす」
「とりあえず、ダイニングのいすをストーブのそばに持ってきていいから、そこで、本でも読ん でいなさい」
沙紀は、唯一の暖房器具である旧式のアラジンのブルーフレームのストーブに手をかざしながら、改めて当たりを見回しながら
「せんせいのお部屋って、ホンと、ムードがありますよね。余分なものがないし、あるものは、 すごく趣味いいし、大人の男の部屋の匂いがぷんぷんですよね。でも、ぜんぜん、女の人の匂いがしないし、意外とまじめなんですね」
「僕は、いつだって自分では、まじめなつもりだよ。沙紀ちゃん以外に部屋に女の子を入れたこ とはないんだ」
「なんか、信じちゃうムードがすごいですね。何人に同じこといったのかしりませんけど・・」
「あのねぇ」
僕が、振り返ると、沙紀は、グレーのプリーツのスカートを両手でつまんで、中身をストーブで暖めているところだった。きれいな生あしと、その間の小さな純白の布地がモロ目に飛び込んできて、僕は、一瞬かたまってしまった。
「やだっ、せんせいったら、えっちぃぃぃぃ!」
「なにをやってるんだぁぁあ」
「だって、ひえちゃったんだもん」
「これだから、女子高は・・・」
僕は、クルリと背を向けると、沙紀を無視した。
沙紀が静かなので、気になった僕が振り返ると、こんどは、ストーブに背をむけて、スカートを
捲くりあげて、お尻暖めていた。僕は、いやでも、かなり食い込んでいる白いものをしっかりと
目に焼き付けざるをえなかった。
「あっ、また見たー」
「見たじゃなぁぁぁぁあぃぃぃい!」
僕は、沙紀のところまで行くと、
「これ以上、じゃますると、ほんとにおおかみさんになって、たべちゃうぞ。
 プレゼント買えなくなっても知らないよ」
「なんかどっちも、とぉぉっても残念、エヘっ!」
「やれやれ・・・」
僕は、ベットに放り出してあった、フライトジャケットをつかむと、
「送っていく」
「えーっ!」
「おおかみさんのおしおき」
僕は、沙紀に上から覆い被さるようにして、強引なキスをした。さっきのお返しとばかりに本気のキスだった。
「うん、うん、あぐ、あふっうん、うぅぅんんんん・・・・・」
途中から、沙紀は、僕にしがみつくように腕をまわすと、なんども、太股を閉じたり、開いたりした。
キスが終わると、沙紀は、クタクタとしゃがみこんでしまった。
「さあ、今日は、ここまで、ほんとに送っていく」
「せんせい、これでおしまいって、ひどすぎー」
沙紀の瞳が濡れていた
「ほらっ」
僕は、赤いダッフルコートを沙紀にほおってよこした。
「もう、せんせいのお部屋で、スカンクちゃん、一番くさいすかしっぺしちゃうんだぁ」
僕は、沙紀のおでこにやさしく、キスをした。
「あとは、クリスマスイブ、さあ、いくよ」
沙紀は、僕の、胸に顔を埋めた
「せんせい、わがまま言ってごめんなさい」
そして、顔を上げて、僕を見上げた。とても、かわいい笑顔だった。
「せんせい、しばらく、このジャズのCD借りてっていいですか?」
「ああ、いいよ」
「後、1週間、これ聞いて、さびしいの我慢します」
僕は、沙紀の肩を抱いて、地下の駐車場に降りていった。
思った通り、深夜の環八は、がらがらで、僕は、GTIのエンジンをレッドゾーンぎりぎりまで、なんどもひっぱることができた。Harryのごきげんにスイングするテナーサックスと、DOHCの咆哮がハーモナイズして、町のネオンサインの光のつぶを、どんどん後ろに放り投げながら、GTIは夜の町を疾走していった。
沙紀は、静かだった。でも、眠ってしまっていなことは確かだった。その証拠に、沙紀は、何度もため息をついた。
「せんせい・・・・」
「なんだい」
「そんなに飛ばさないでください」
「こわい?」
「せんせいの運転は、安心なんですけど・・・・すぐ着いちゃうから・・・」
さすがに、いじらしくなったが、残っている10数ページのわけのわからない英文の特許明細を思い出して、アクセルを踏み込んだ。
Harryのテナーが、また、White Christmasのメロディをブルージーに吹き出した頃、僕は、沙紀の家の前にGTIを止めた。
「ちょうど、25分だ」
沙紀が、うらめしそうに僕を見た。いつもの少女の瞳ではなかった。僕は、圧倒されて、一瞬、息をのんだ。
「せんせい、責任とって、もう一度、しっかりおやすみのキスしてください。こんど、また、 おでこなんかでごまかしたら、今すぐ、沙紀、スカンクちゃんになっちゃいますよ」
僕は、まわりを気にしながら、唇を近づけた。それよりも早く、沙紀は、僕の首にすごい勢いでしがみつくと、歯と歯がぶつかるほど、強く唇を押し付けてきた。
「うっ?!」
沙紀が、自分から、舌を入れてきた。
僕が、それを返すと、沙紀は、一瞬せつなそうなあえぎ声を漏らして、無意識に堅く太股を閉じた。

その時、突然、沙紀の家のエントランスに明かりが灯った。
二人は、弾かれたように唇を離さざるをえなかった。
沙紀が、潤んだ瞳で、また恨めしそうに睨んだ
「送っていこう」
「このつぎ会えるのは、いよいよイブですね」
沙紀は、いつもの少女の明るい笑顔に戻っていた。
「ああ、おべんとうよろしく」
沙紀は、うれしそうにコクリと頷いた。
エントランスに沙紀のママの影が見えた。
僕は、沙紀にダッフルコートを着せると、GTIのドアを開けた。
「おそくなりました」
僕は、沙紀のママに挨拶すると、沙紀を引き渡した
「こちらこそこんな時間にすいませんね。さあ、寝るわよ」
「せんせい、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
ドアがしまるまで、僕は、沙紀を見送った。
僕が、背を向けて、GTIに戻ろうとした時、また、ドアが開いて、沙紀が顔をだした。
「せんせい、キスうますぎー!」
「こどもは、はやく、寝なさぁぁい!」
沙紀は、スニーカーを突っかけて、飛び出してくると、ほんとうにジャンプして、僕のほおにキスをした
「せんせい、だいだいだいすきでーす」
僕が、気が付いたときには、そのやわらかな唇の感触と、あまい香りだけがあたりにただよっていた。
「女には、勝てないな・・・・」

次の日、僕は、沙紀のために、銀座で、ちいさなスターリングシルバーのネックレスを買った。

(後編に続く・・・・・If you wish to read the sequel)

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