新バック・バースト・中編『ゾルズ族の女』(上)

い森の中。激しく草木のざわめく音がして、横一直線に黒い影が飛んだ。
直後、細長い何かが、その後を追い次の瞬間、黒い影は笛のような甲高い鳴き声を発し、すぐ静かになった。
 深い草木の茂みを、何かが這いずるような音がして、やがて止んだ。ややあって、止んだ場所から、濃い茶と白の縞の頭部が持ち上がり、次いで全身が現れた。
切れ長の目にうすいブルーの瞳、鼻先から額にかけて通る、一本の白い毛のすじ、薄茶の眉を持った滑らかな色白の顔に、草と葉をつけた長く、しなやかな頭髪。
それは、若い一人の女だった。茶色の革の服の胸元が、なだらかな膨らみをかたどっている。 女は、腕で顔についた草葉を拭い落すと、右手に持った縄を胸元へ引いた。
縄の先には。黒光りする鉄の矢じりが二つ付いており、一方のその先に、鳥とも獣ともつかない、羽をもった生物がだらりと息絶え、垂れ下がっていた。
矢じりの先は、そのうずらに似た生物の心臓を真っ直ぐに貫いていた。「鳥」が苦しまずに息絶えた事を確認した女は、腰から、二本あるうちの小型のナイフをとりだしつつ
、鳥を追ってきた道を引き返した。木の枝に引っ掛けて置いたつばの広い茶色の帽子と、色褪せた中央に白、周りが黒のぼろぼろの布、その下の紺色のスカーフらしきものを
とって、木の側の比較的開けた草地へたたんで置き、帽子をのせた。
ナイフで円形に草を刈り、そのまま座り込むと、おもむろに鳥を調理し始めた。
矢じりを抜き、羽をむしり、ピンク色の肌が出たところで、腹を割いて臓物を取り出し、ナイフで首を落すと、腰のパウチから灰色の石鹸のような塊と、紙の小箱を取り出すと中からマッチを一本取り出した。 女は、鳥の胴体に長い枝を突き刺し、集めて置いた小枝を重ね手早く即席のかまを作り、灰色の固形燃料を放り込んで火を付けた。
 うまい具合に風もなく、枝も乾いており、火は勢いを増した。枝のはぜる音と共に、肉から脂が染み出て、脂分のはじける音と、きな臭く、食欲を誘う香ばしい香りが立ちのぼり始めた。座り込み、焚き火を見つめる女の腹が、かすかに鳴った。
空になった胃をガスが移動し、食べ物で満たすよう、せかし、要求する音だ。
女は空腹だった。小枝を足し、肉の表面が照りを増しつつ、こげ茶色に変化し、油がしたたり落ちるたび、瞬発的に火が弾け、膨れ上がる。
半日かけ、やっと捕らえた食糧だった。マッチと一緒に取り出した、紐でくるんだ油紙の小片をといて、貴重な調理粉を一掴み、焼ける鳥の上へまんべんなくまぶした。
しばらくして程よく肉が焼け、女は皮手袋を素手で握り、盛んに油のはじける音を立てている肉を火からおろした。肉の一片をナイフでざっくり切り取り、小枝に刺して後方
の木の根元へ突き刺してから、一片を削ぎ取ったあとの肉のかたまりへ息を吹きかけてさまし、かぶりついた。 ぱりぱりとした皮から、口中に熱い肉汁があふれる。淡い塩
味とともに、香ばしく甘い肉の味で口中を満たされた女の表情は幾分、安らいで見えた。
三口程かみちぎり、咀嚼し、飲み込んだところで女の動作が止まった。尖り気味の耳の先がぴく、と動き、ゆっくりと立ち昇る煙の動きと同化するように、手にした肉を地面
へ下ろし、続く動作で腰の、もう一方のナイフの柄へ手をかけた。やや緊張を帯びた女のブルーの瞳は、焚き火をとおり越した前方へ向けられている。
「ちっ、気付いたか。…出てきな、お前たち」
そう言って前方の草木の茂みから出て来たのもまた女だった。大柄な女だ。
ぼさぼさの茶色の髪は逆立ち、獣の毛皮で作った服を身にまとい、褐色の腕はむき出しで、汚れた布で保護してある。首にまいている黄色い毛皮は、大昔に滅んだはずの、猿のそれであった。その横から、呼びかけに応え、幾分小柄の子分らしき者が二人、姿を現した。二人共、胸元を汚れた布で巻いて、毛皮の服をまとっているが、片方は女、もう片方は男だった。茶色の髪はやはり、放射状に逆立っている。火のはぜる音が間を取り、大柄な女がずい、と右足を踏み出した。足は裸足で、くるぶしにも汚い布が巻きつけられていた。 胸をはだけた格好の、頭らしき女の乳房は巨大で、黒ずんだ乳房の右片方はない。三人とも、全身からきつい獣の体臭を放っていた。
「見かけない顔だ。ここは、うちらの縄張り。踏み込んだ以上、どうなるかわかってるだろうね、えぇ?」
女は無視した。ナイフの柄にかけた手を下ろし、女頭のどっしり立たずむ前で、食べかけの肉を手に取り、無造作に口に運び始めた。
食事を突如邪魔した相手にかまうよりも、血となり肉となり、命をつなぐための食物をなるだけ早く多く取り込み、エネルギーと化す事こそが、今の女にとっては優先すべき
事だった。肉をむしり取っては黙々と食べ続ける女の口元を見て、女頭の口元がぴく、とけいれんした。
「…大した…根性だねぇ」
笑うように、ぶ厚い唇から息を震わせつつ吐き出した女頭は残り火を出して燃える焚き火を素足でぐしゃっ、とふみつぶした。
一瞬、しかめ面をおびた女頭の表情を、幸いにも見たものはいなかった。
目の前の女は下を向いて食べるのに夢中だし、子分二人は頭の後方にくっついている。
女頭はそのままずかずか大股で歩み寄ると、座り込んだ女の、口元に運ぼうとした肉を平手でなぎ払った。殆んど骨ばかりとなった肉は、女頭の右斜め後方へ吹っ飛んだ。
女はやっと顔をあげ、切れ長の、うすいブルーの瞳を持った目をぎろりと目の前の不粋な相手の顔に向けた。
 鋭い眼光のきらめく、不釣合いともとれる色白の、華奢な女の顔の意外な迫力に、女頭はあからさまにたじろいだ。
「…ふ、ふん。お前、こっちが女と思って、甘く見てるね」
言われて女は、首を横にふった。
「じゃあ、ふざけたその態度は何だ!!」女頭は力まかせに女の頭上へ拳を振り下ろした
が、手応えが無かった。振り下ろした両腕のすぐ脇に、女の頭部が見えた、と思った次の瞬間、あごに強烈な打撃をくらい、ぐらり、と視界が揺れた。
「何こいつ」
「何こいつ」
頭の後ろに、ひっつくようにしていた子分の二人が、ふらついた女頭を支えるように背に手をまわしつつ、両脇に立った。
 二人の子分の背は、二人共まったく同じだった。顔形も、筋肉質のでこぼこした体格も、瓜二つと言っていいほど、二人は似ていた。胸部の凹と凸の他、男の方が、女の方より幾分、髪も長く、逆立ち加減が激しかった。なめした皮で覆われた尻から、縦の瞳を持つ者の特徴的な先の円い長い尾がくねり出て、不機嫌をしめし草の生えた地面をさくりと打つ。
そのタイミングも、二人まったく同時だった。
 見れば女頭の巨大な臀部からも、太く長い、先端にふさの生えた尾が伸び出ている。
三人の尾から目を離した女は、
「ゾルズ族か」
と静かに言った。
頭は、きょとん、として、黄色い瞳をすっと細め、「何でお前がそれを知ってるんだ?まあなら話は早い。ここは縄張りだ、っつってんだろ!!」巨大な乳房を震わせ、拳が女の顔面
に繰り出されたが、かわいた音を立て、女は右手でそれを受け止めた。
「アシッド以外に用は無い。後悔しないうちに去れ」
「ばかかこいつ」
「ばかかこいつ」
頭の脇の双子が口をそろえて言った。「かしらに対する口の聞き方もしらないやつ「しらないやつ」尻尾をうねらせながら、女を指差した。
「かしら、どうしましょうか?「しましょ
うか?」
双子は同時に顔を上げ、頭の指示をあおいだ。頭は、女の右手からようやく手を放すと、ふん、と鼻を鳴らして、
「そうだね、縄張りをおかし、狩り場も荒らしたとあっちゃばつを受けてもらわなきゃね」
「どんなばつですか?「ばつですか?」
「綺麗で可愛いとくりゃ、決まってんだろ。泣くまで犯すのさ」そう言うと、頭は笑いながら舌なめずりし、長い紫色の舌が、がさがさのぶ厚い唇を舐めた。
ふさのついた太い尾を草地へたたきつけた頭は、先程とはうって変わって、足音を立てず滑るように女へ近づくと、いきなり身体をひねり太い尾を鞭のように振るった。
間一髪で上体を沈めた女の頭上を空気を裂いて尾がうなり飛び、女の背後の木立を真っ二つにした。女は上体を沈めた態勢から跳躍し、折れて傾いた木立の、横へ突き出た枝を掴むと全身を振り子にして頭の後方、双子の目の前へ降り立ち、一気に間合いを詰められて驚く相手の腹へ、逆手に持った肉厚の刃をもつナイフの柄を叩き込んだ。
 しかしそれは硬い音を立ててはじかれ、しびれた女の手からナイフが落ちた。
それを側らのもう一人がすばやく拾いあげようとして、すかさず放った女の硬いブーツの蹴りで手の骨を砕かれ、激痛に悲鳴をあげる間に蹴り飛ばされたナイフは草むらへ消えた。
ナイフの柄を叩き込まれた男は、胸の布をといて金属板を取り出し、板を盾の様にして全体重をのせ女のこめかみを一撃し、女はよろめいた。
見かけよりはるかに頑丈な相手に男はうろたえたが、今しがた打撃を与えた同じ場所へもう一度一撃を加えようとし、ひざをついた女の右腕にブロックされた。相手の意外な腕力に、今度は男がよろめき、気付いた時には金属板は相手の手に握られていた。
それを目にしたのを最後に、男は額に激しい衝撃を感じると同時、何も判らなくなった。
倒れ付したその横で、手首をおさえた双子のかたわれは転げ回っていた。
 金属板を持ったまま女は、子分を倒されうろたえ気味の頭の背を踏み台にして飛び上がると、そのまま重力と体重をのせた金属板を、頭の頭頂へ叩きつけた。
頭の前方へ降り立った女はしかし、先程やられたこめかみへの一撃が効いているのか、目眩をおこしてよろめき、両手を地面に付いた。草色の虫が驚いて、手と金属板の間からぱっと飛び上がり、キチキチと音を立てて飛んでいった。
 頭は、目の前にうずくまった相手を見下ろしつつ、にたりと笑った。木々の間から射し込んでいた陽がかげり、縦長の瞳が丸みを帯びると、黄色の目が不気味な緑色に輝いた。
「あたしは石頭がとりえでね。よくも、可愛い子分どもをやってくれたねぇ」
うずくまった女は、女頭へさっと背を向け、短いふさ尾の生えたズボンの尻の部分、四点ある鋲の下方二点を外した。 上ぶたを開くように片手でめくり押さえた生地は、下方の生地と分かれ、下方の生地は臀部の割れ目にそって中央に線が入り、肛門部にあたる箇所でVの字型に左右に分かれている。うずくまった態勢のまま、女は足を広げ、頭へ向かってぐいと尻を突き出した。
足を広げると、うすい下着が中央からぱくりと割れて、薄茶の小さな窪みをもつ部分が露わになった。
「おや。何のマネだい?」
頭は、一撃を食らった頭頂をかゆそうに指でこりこりと掻きながら、面白そうに言った。
「ほー、何て可愛いシッポとお尻の穴だ。ようやく観念して、そこをいじめて欲しいのかい?」
頭が近づこうとすると、「止まれ。それ以上近寄ると、ひどく後悔する事になる」体勢を保ったまま、女は言った。頭は目を細め、目の前にひらひら飛んできた虫をかきとるようにしてつかまえ、口に放り込んで噛み潰した。
「…何かと思や、そうか、お前の武器はおならなのかい。みっともない武器も、あったもん
だねぇ、おおかた、…くさいだけの、……………」
そこまで言って、とたんにがくん、と頭の表情が凍りついた。
「……かっ…、あっ…、お、っお前は…っ、くっ、…クヌークス!!」
言うなり、がたがた震え出した。目の前に突き出された女の尻の中央やや下部の窪みが、外側へ向かって膨らんでいるのを見て、
「わっ、わ…、あっ、いや、やめろ、するな、出っ、出すな!!」
ごわごわに逆立った髪をますます逆立て、慌てて頭は後ずさった。
「部下を連れて立ち去れ。ならば、何もしない」
頭はごくんと唾を飲み込み、かくかくと首を縦に振った。
「わかっ、わっ、わかった、待て、そうする」「ゾルズの縄張りを荒らすつもりはない」
女を尻目に頭は、転げ回ったあげく気絶した一人と、気絶した状態から醒めかけうめいているもう一人を抱え上げ、再び振り向き、じっと静かに見つめる女を見て、慌てた。はずみで、バランスを崩してつんのめり、男の方を肩から取り落とした。気が付きかけていた男は頭を打ち付け再び気絶した。あわてて拾い上げ、かつぎ直すと、慌ただしく草木
を掻き分け、そそくさと奥へ消えていった。
「………」
ゾルズ族が去ったのを確かめ、女は立ち上がった。火は完全に消えておらず、熾き火となっていた。女は、その上にまたがると、ズボンを下ろし、小便をほとばしらせて、
火を消した。ゾルズの女がはじき飛ばした肉を探し、虫と草と泥を払うと、残りの肉を齧り取って骨片を木の根元へ突き刺した。 草むらに蹴り込んだ愛刀を探し、草木をかき分け拾い上げると、腰のベルトに収めた。たたんだ荷物を縄でくくり、帽子を頭にのせ、荷物を肩に下げると歩き始めた。
 もうすぐ、森を抜ける道にでるはずだ。そう思い、何歩か進んだときだった。
ふいに、足首を何かに掴まれた、と思った刹那、天地が逆転した。
                  

続く

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